自己紹介と、フィール入社のきっかけについて
――今日は、アニメ制作会社feel.で演出として活躍する立田眞一さん、吉澤 太智さんにお話をうかがいます。まずはお二人の自己紹介と、フィールに入ったきっかけから聞かせてください。
立田(以下 立)自分は専門学校を出たあと葦プロダクションで動画からキャリアをスタートしまして、初仕事となった作品は『VS騎士ラムネ&40炎』です。同期もいろいろいましたけど、いちばん名前が出ているのは川口(川口敬一郎監督)かな(笑) そこから紆余曲折あって、プロデューサーさんが会社を辞めてアクタスを作ったんです。その際に声をかけてもらったので、じゃあ自分も一緒に……とアクタスへ移籍しました。その約2年後、当時付き合いがあった瀧ヶ崎さん(フィール 代表)・上坂さん(フィール プロデューサー)が新しく会社を作ると聞いて参加したのが現在のフィールです。最初は5人くらいの、本当にコンパクトな会社でした。
吉澤(以下 吉)タイミングとしてはちょうど深夜アニメが増え始めた時期ですか?
立)そうですね。自分が葦プロダクションを辞める前後、2000年くらいから作品数が増え始めた時期でした。フィールは2002年設立なんですが、当時は三鷹の小さなワンフロアで事務所を構えて、当初はグロス請け中心で立ち上げていきました。こぼれ話ですが、設立当初のロゴは上坂さんがデザインしたものですね。カット袋などにどこの会社のものかわかるようにロゴを入れるんですが、それが今も一部残っています。そこから徐々に拡大していって、最初の元請作品は『JINKI:EXTEND』なんですが、その手前でも『D.C ~ダ・カーポ』の制作協力などでかなりしっかり入っていました。その後の『D.C.S.S. 〜ダ・カーポ セカンドシーズン〜』を元請で制作したのもその流れですし、たまにフィールの公式X(旧Twitter)が1作目のダ・カーポの方のトピックをリポストしているのはそういう経緯があるからなんです。当時は今みたいに部門が整っていなくて、初期メンバーで言うと名和宗則さんや佐藤元昭さんなど、社員とフリーの方々が混ざって一緒に走っていた感じでした。
――吉澤さんは新卒入社ですよね。
吉)はい。元々アニメが好きで、将来的にはアニメの演出がやりたいと思っていました。ただ、その前に一度実写を勉強したくて、日芸(日本大学芸術学部)の映画学科に進学しました。結局卒業制作が忙しくて就職活動はほぼしていなかったんですけど…… そんな中で進路を考えたときに、大学時代に観ていたアニメの中で好きな作品が結構フィール制作だったことに気づいたんです。『みなみけ ただいま』や『おしえて!ギャル子ちゃん』、『だがしかし』みたいな日常系が面白くて、「この会社、いいな」と。自分も日常系ギャグ作品をやりたいと思っていたので情報を集めたらちょうど社員募集をしていて、書類を送って面接を受けたら採用していただいたという流れです。
立)他社さんもいくつか受けたんですか?
吉)スタジオぴえろさんにも送りました。落ちましたけど……(笑) その後フィールの面接があって、受かったので良かったなと。面接官は瀧ヶ崎社長で、将来の希望を聞いてくれたので「演出になりたいです」と伝えたのは覚えています。後で聞くと運転の実技で落ちそうになっていたらしいんですが、それでも瀧ヶ崎さんが採用しようと決めてくれたと聞いています。
立)運転が荒かったってこと?
吉)ではなくて、運転中にあまり話さなかったんです。制作としてはコミュニケーション力も重要なので、そこで不安視されていたようです。
立)なるほど。今も作画部と制作部は選考含めて完全に別で採用しているから、制作側の話を聞く機会はほとんど無いかもしれない。それで言うと作画部側はやっぱり絵がかけることが最重要なので、ベースとして求めている画力のラインがあって、それを超えているかどうかで判断してますね。
――ちなみにお2人は最初に一緒に仕事をしたときのことは覚えてますか?
立)私は全く覚えていないですね(笑)
吉)ですよね(笑) 私が初めて携わった作品が『拡張少女系トライナリー』というアプリゲーム内アニメ作品なんですが、立田さんはクレジットされてるか否かに関わらず基本的にフィール作品であれば何らかの形で関わっておられるので、自分と立田さんの初仕事もそこということになります。確か4話以降の原画などを担当して頂いた記憶があります。
立)どこかで吉澤さんをちゃんと認識はしているんですけど、はっきりどのタイミングだったかは覚えてないですね。気づいたらいるという感じで、仕事ぶりと本人とをリンクして覚えていく流れは業界あるあるかもしれません。
次回第二編では、お二人が演出に挑戦されたきっかけについてうかがいます!